ヘンリー・ミラーとブラッシャイ

                                           鈴木 みか

"When you meet the man you see at once that he is equipped with no ordinary eyes."
 −彼に会えば、この男がいかに尋常でない目を備えているかがわかるだろう。−

 作家ヘンリー・ミラーは、親しい友人・写真家ブラッシャイについてこう語った。1930 年代、夜のパリの街角を撮った写真集"Paris de nuit"にはこころに沁み入るような豊かで濃密な夜があふれている。美しさと猥雑さ、静けさと喧噪、闇と光・・ブラッシャイのパリは様々な表情で語りかけてくる。公園のベンチ、恋人たち、石畳・・・時はいつしか消滅し、熾火のようにくすぶる記憶のかけら。
 
"The eyes of Paris"、ヘンリー・ミラーは敬意と賞讃を持ってブラッシャイをこう呼んだ。カメラは景色を写し出す彼の目そのもの。憂いにみちた彼の写真が持つ親密さはいつしかヘンリ−・ミラーの描いたパリと重なる。


"It is no accident that propels people like us to Paris. Paris is simply an artificial stage,a revolving stage that permits the spectator to glimpse all phases of the conflict. Of itself Paris initiates no dramas. They are begun elsewhere.Paris is simply an obstetrical instrument that tears the living embryo from the womb and puts it in the incubator. Paris is the cradle of artificial births. Rocking here in the cradle each one slips back into his soil:one dreams back to Berlin, New York, Chicago, Vienna, Minsk. "    -by Henry Miller" Tropic of cancer"

−ぼくたちのような人間をパリにもぐりこませたのは決して偶然ではない。パリは人工の 舞台にほかならない。見物人に闘争のあらゆる場面をかいま見ることを許している回転舞 台にほかならない。それ事体ではパリは決して何のドラマもはじめないが、しかし、ドラ マはいたるところで演じられる。パリは単に子宮から生きた胎児を引きはがし、それを人 工保育器のなかへ移す産科の機械にすぎない。パリは人工出産の揺かごである。ここで揺 かごに揺られながら、人々の夢は、いつしかおのれの土地へ帰るのだ。ベルリンへ、ニューヨークへ、シカゴへ、ウィーンへ、ミンスクへと人々の夢は帰る。−(ヘンリ−・ミラー著「北回帰線」大久保康雄訳 新潮社刊より)

 ヘンリ−・ミラーが、この小説を書いたころ、まだ、彼はまったくの売れない作家だった。二番目の妻、彼自身のミューズともいわれるジューンとの雲ゆきがあやしくなり始め’30年代に彼は単身でアメリカからパリに移り、執筆活動に専念するようになる。定住せず、友人たちの家を転々とする居候生活。ポケットは常に底をつき、きょう食べるものもないほどの貧しい日々。そんな状況の中でこの作品は産み落とされた。世界一嘘つきで、美しく、貞淑でない妻ジューンを夢見ながら、ヘンリ−は酒を飲み、働かず、ヒモのように次から次へと女をかえる。この一見自堕落ともいえる日々の中、書くことだけにはストイックに専念し、多くの芸術家たちとカフェで出会う。貧乏だったが刺激的でしあわせだったころ、後年、アメリカに帰った彼はパリ時代を回想し、こう語っている。やがて女流作家アナイス・ニンと知り合い、D・H ロレンスへの傾倒ぶりで意気投合、恋に陥る。当時すでに成功していたアナイスは無名のヘンリーの才能に惚れこみ、「北回帰線」出版のために公私両面で大きく貢献する。 この辺りのいきさつは、アナイス・ニン著「ヘンリー・アンド・ジューン」に詳しい。

 ブラッシャイと知り合ったのもこのころのこと。ブラッシャイが夜のパリを撮るとき、ヘンリ−・もよく友と一緒に歩き、フラッシュを焚く手伝いをしたりして楽しんだ。当時のブラッシャイの作品の中には、ヘンリ−のポートレートがいくつかあり、二人の交友関係を偲ばせる。ブラッシャイの写真集の前書きを書いたり、二人の友情は長く続いた。

"Then one day I fell in with a photographer; he was making a collection of  the slimy joints of Paris for some degenerate in Munich................He was a good companion,the photographer. He knew the city inside out ,the walls particularly; he talked to me Goethe often,and the days of Hohenstaufen, ..................We explored the 5th, the 13th, the 19th and the 20th arrondissements thoroughly. Our favorite resting places were lugubrious little spots such as the Place Nationale,Place des Peupliers, Place de la Contrescape,Place Paul-Verlaine. Many of these places were already familiar to me, but all of them I now saw in a  different light owing to the rare flavor of his conversation...."

−やがてある日、ぼくは一人の写真家と知り合った。彼はミュンヘンのある変質者に頼まれて、パリのいかがわしい場所のコレクションをやっていたのである。.....(中略)....この写真家は、なかなかおもしろい相手であった。パリを隅々まで知っており、とくに裏道については詳しかった。彼は、しばしばぼくに向かって、ゲーテを語り、ホーヘンシュタウフェンの時代を論じ....(中略)...ぼくたちは第五、第十三、第十九、第二十の各区を徹底的に探検した。ぼくたちの気に入りの休憩場所は、哀愁的な、ささやかな場所、国民広場、ポプラ広場、コントルスカルプ広場、ポール・ヴェルレーヌ広場などといったところだった。これらの多くは、すでにぼくにはなじみのあるところだが、彼の世にもまれな巧みな話術のおかげで、そのすべてが、まったくちがった眼で眺められるのであった。−(同上「北回帰線」より)

 ブラッシャイことハラース・ジュラは1899年、ハンガリーのブラッショー(現在のルーマニア・トランシルバニア地方)に生まれる。画家になりたかった彼は、若いころはハンガリーとドイツにおいて絵画の勉強をし、1924年からパリにジャーナリストとして暮らし始める。幼いころ一年間だけ父とパリに滞在した記憶があり、印象深い街であった。パリで生活するにつれ、路上や人の集まる場所、身近な夜の風景に惹かれていった。イメージは彼にまとわりつき、それらを記録することに取り憑かれるようになった、と語っている。

  このころ、同じハンガリー人、ケルティース・アンドレと出会い、写真家として転向するよう強く勧められる。 絵画をこよなく愛していた彼は、パリ滞在の最初の6年間、写真という媒体を拒み続けた。表現手段としてあまりにも機械的で、個人的でない、ということがその理由だった。見解が180度変換したのは、日没のパリを記録しはじめたときからである。1933年には「Paris de Nuit」を出版。  

 パリを写した作品は、雑誌などで広く紹介され大変好評を博したが、ほかの作品に関しては後年まで、誰の目にも触れず未発表のままであった。 1976年初めてイギリスで出版された、「The Secret Paris」では、1930年代にブラッシャイが惹かれ、撮り続けたこの未発表の作品群、パリのもうひとつの顔が捉えられている。売春婦、恋人たち(ホモセクシュアルも含めて)、阿片中毒者、街のちんぴら、芸人たち等々。これらを撮るとき、よくヘンリ−・ミラーと街を彷徨った、と前書きで彼は述べている。文才のあった彼は、趣のあるエッセイも多く載せていて、ブラッシャイを知る上でも非常に興味深い本となっている。

 ほかにピカソ、サルトル、ジャコメッティはじめ多くの芸術家たちの写真も撮り続けた。「Historie de Marie」で、作家として作品を発表、この本の前書きもヘンリ−・ミラーが引き受けた。 後年、絵画や彫刻の世界にも戻ったが、写真も撮り続け、壁に描かれた落書きをテーマに撮るなど、彼独自の視点を見失わなかった。

"The thing that is magnificent about photography is that it can produce images that incite emotion based on the subject matters alone."  -Brassai-

−写真の持つ偉大さは、主題そのものが内包する情緒を刺激し、イメージを生み出すことにある。
                    −(ブラッシャイ)